私が開院した理由
1、悔いのない人生を送って欲しいから
私は言葉にできない「生きづらさ」をずっと抱えていて、気持ちや体調が良いと感じることがあまりない人生を歩んできました。しかし今はそこから抜け出すことが出来たので「どうしたら良いか」を体験的に知っています。ですから
過去の私と同じような苦しみを持つ人を助けたいのです。私は
・嫌われないように
・変な人と思われないように
・常識からはみ出さないように
・恥をかかないように
・間違わないように
・失敗しないように
・人に迷惑をかけないように
・怠けないように
このような生き方をしていると
・本当にやりたいことができず
・不満やストレスばかりが溜まる
・でもどうして良いか分からない
・嫌われてもいいし
・変な人と思われてもいいし
・常識からはみ出してもいいし
・恥をかいてもいいし
・間違ってもいいし
・失敗してもいいし
・人に迷惑をかけてもいいし
・怠けてもいい
2、より良い世界を残したいから
私は息子がいることもあり、子どもたちに引き継ぐ世界を少しでも心地良い状態にしたい、と考えています。街中でキラキラしたビー玉のような目の赤ちゃんに見つめられると、その目に映る世界が平和であって欲しいな、と思います。
私は今の日本の社会が心地良いとは思っていません。私たちがこれまで良くも悪くも両親、祖父母、その前の世代のご先祖様たちから連綿と受け継いできたものの中に
「自分らしく生きる大人へ」
まずは「自分らしく生きる」そんな大人を増やしたいです。
そうすれば「私たちの世代で断ち切るべきモノ」は消えていくでしょう。そして子どもを大人の都合でコントロールするのではなく、その子が本来の力を発揮できるように手助けできる大人が活躍する社会を作りたいです。子どもが「こんな大人になりたいなあ」と思える大人が沢山いたらステキですよね。
3、本当の現実を知って欲しいから
厳しい現実を書きますが、9割の病気は本人が作り出しています。しかしそこには触れられないままに対処法に走ることが現在では普通になっており、誰も疑いを持ちません。そのためせっかく病気が教えてくれているメッセージにも気づけないので、いつまでも症状が改善しない、再発するなどを繰り返しています。
そんな現状を変えたいのです。
「あなたは宇宙で唯一の存在」
人はひとりひとりが違う体、違う個性、違う人生を持ち、違う環境で日々考えも変化しながら暮らしている宇宙で唯一の存在です。
そんな存在であるあなたの不調の原因が単純なものであるはずがありません。
効果が見られないにも関わらず、延々と肉体に刺激や投薬を加えることを「治療」と称して続けられていたりします。
私はそんな現状に対して大きな疑問を抱いています。現在の一般的な常識とは違いますが、
”肉体に原因はない”
というのが私の考えです。
「では肉体とは何か?」~映画のスクリーン~
こんな例え話を使って「心」と「体」について説明してみます。
私たちの体が映画のスクリーンだと思ってください。そこで上映されているのは「心の状態」という名の映画です。
上映中は、スクリーンに様々なシーンが映し出されますので、私たちはあたかもスクリーン自体が変化したように錯覚します。でも、実際に上映が終わればスクリーンは元の白いスクリーンであることが分かります。
例え映画で爆発のシーンがあったとしても、スクリーン自体は爆発しませんよね?(笑)どんなに見た目が変わったように見えたとしてもスクリーンはいつも真白なスクリーンであることに変わりはないのです。
私たちの体はこれと似ていて、痛みが出たり、炎症を起こしたりと、様々な様相を呈することは事実です。しかしそれは「心の状態」が映し出されているだけであって決して、スクリーンである体自体が病んでいるわけではないのです。
映画が気に入らないからと言って、スクリーンを破いたり、別な布に交換したりしても、見え方は変わっても映画の内容までは変わりませんよね。
つまり、どんなに体を操作しても、上映されている映画、すなわち「心の状態」が変わらない限り、同じ映画がそこには上映され続ける、ということになります。
ということは、もし見たくない映画が今上映されているのなら、変える必要があるのはスクリーンではなく映画、つまり「心の状態」であることが分かります。
ですから当院では魂鑑定で「心の状態」を、施術で「体」と両方を整えて倍速で快復を促します。施術で一旦は良くなっても「また元に戻る状態」を繰り返すのは、スクリーンだけを操作して映画を変えていないのに変えたつもりになっているからです。
これで肉体だけを操作することにあまり意味がないことがお分かりいただけたでしょうか?しかし残念ながら、現在9割の施術者が体しか操作していないのが実情です。
これらの認識を是正していくのも私の使命だと思っています。
「実は世界では当たり前の考え方」
私がどんなに語っても、説得力がないかも知れません(笑)
では、世界で活躍される方たちが「心」と「体」の関係をどのように語っているのかをみていきましょう。
<世界で活躍する方たちはこう見ている>
「痛み」と「心」についての重要性を訴えるこんな医師の言葉があります。
米誌フォーブスで「アメリカで最も優れた医師」にも選ばれたことのある、
ジョン・E・サーノ氏(John E. Sarno)
{ニューヨーク大学リハビリテーション医学教授}
の言葉です。
『痛みに悩む人の原因は、その人の心の奥に抑圧された怒りや不安などの感情であり、 本人がそれを突き止めれば回復していく』(epochtimes.2017.2.15)
サーノ氏は、ネガティブな感情が肉体に慢性的な緊張を引き起こし、それが痛みになる、ということを主張されています。体の痛みは、本人が「直面したくない」と感じている感情から意識をそらす役割がある、という考え方です。つまり「体の痛みは心の痛み」とも言えます。
”肩が痛い”
”腰が痛い”
などご本人が感じてらっしゃる痛みが本物であることは間違いありません。しかし本当は私たちは「心の痛み」から目を逸らすために、体に痛みを作り出しているのかも知れません。
カナダの医師、ガボール・マテ氏は、
「ノーと言うことを学ぶ機会を与えられずにいると、ついには私たちの体が、私たちの代わりにノーと唱えることになるだろう」
と著書「身体が”ノー”と言うとき・抑圧された感情の対価」で記しています。
「ノーと唱える」とは、つまり病気になるということです。
また、日本で有数のメンタルトレーナーでもある梯谷幸司氏は、
「人は、口で言えばいいことを、体で表現する。」
とご自身の体験からインタビューでも語ってらっしゃいます。口で言えないと、代わりに体が代弁する、つまり病気になる、ということです。
私が敬愛する、同じ大田区の「田園調布長田整形外科」の院長、長田夏哉先生は、
「僕は医師として患者さんには ”肉体には原因はない” とお話しています。」
「原因はエネルギー体にあります。」
と著書でも書かれています。
歴史的には、道元禅師が「身心一如」(しんしんいちにょ)という言葉を残している通り、 心と体を切り離して考えることは、森羅万象の法則に沿っていません。
昔も今もそしてこれからも、この法則は変わりません。
当院がそんなことも伝えられる場になったらいいな、と思っています。
共感していただけたら嬉しいです。
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